1932 年ニューヨーク生まれ。スタンフォード大学で演劇と弁論を専攻した後、UCLA の 映画学科に入学するが、同校を一年で中退。その後劇団「ザ・スタンプタウン・プレイヤーズ」 で演出家兼俳優として活躍する。一時期テレビ局ABC 放送で編集助手を務めたりした後、 再び演劇の世界に戻り劇団「サマーストック・カンパニー」に所属、サミュエル・ベケット『ゴ ドーを待ちながら』などを演出する。劇団の出資者の一人だった、低予算映画製作者兼監督 のロジャー・コーマンにその手腕を認められて映画界入りを果たす。
 1959 年、ロジャーの弟ジーン・コーマン製作による低予算犯罪モンスター映画『魔の谷』 を監督。この作品で、劇場用長編監督としてデビューした。その後、フィリピン・ロケを敢 行した戦争映画『バックドア・トゥ・ヘル/情報攻防戦』(64、テレビ放映のみ)と冒険スリラー 映画『フライト・トゥ・フューリー』(65、未)を発表。この二作品で俳優ジャック・ニコル ソンと初めて協働(後者でニコルソンは、脚本家を兼任)、以後友人同士となる。続くロジャー・ コーマン製作による二本の低予算西部劇『銃撃』(66、DVD 発売のみ)と『旋風の中に馬を 進めろ』(66、DVD 発売のみ)でもニコルソンを主演級の役柄で起用した。この二本はユタ 州の砂漠地帯で連続的に撮影され、やはり後者でニコルソンは脚本家を兼任。前者では ウォーレン・オーツと初協働した。同時期にヘルマンとニコルソンは、若手映画俳優を主人 公とし堕胎をテーマとする『墓碑銘』と題された脚本を共同執筆し、ロジャー・コーマン製 作で映画化しようとしたが、この企画は頓挫した。
 ユニヴァーサル配給による哲学的ホットロッド映画『断絶』(71)は興行的に惨敗し、同 作はヘルマンがハリウッドのメジャースタジオを通じて監督作を発表する唯一の機会となっ た。『断絶』に続いて、ロジャー・コーマン製作『コックファイター』(74)、イタリア=スペ イン合作による西部劇『チャイナ9、リバティ37』(78、未)でもオーツを主演に起用。以後、 スペイン映画『イグアナ/愛と野望の果て』(88、VHS 発売のみ)、アメリカ製低予算スラッ シャー映画の第三作『ヘルブレイン』(89、VHS 発売のみ)、オムニバス・ホラー映画『デス・ルー ム』(06、DVD 発売のみ)の一編『スタンリーのガールフレンド』を経て、2010 年に約20 年ぶりの長編監督作『果てなき路』を発表した。
 数多くの映画で編集や第二班監督を手がけているほか、製作者や監督の統率が行き届か ず混乱した映画を見られる形に修繕したり、製作途中で監督が急死した際にその代わりを務 めて映画を完成させたりすることも多く、「フィルム・ドクター(映画医師)」としても知ら れている。そのような形で参加した作品には、『キラー・エリート』(サム・ペキンパー、75)、『ア リ・ザ・グレーテスト』(トム・グリース、77)、『アバランチ・エクスプレス』(マーク・ロブソン、 79)等がある。また、『レザボア・ドッグス』(クエンティン・タランティーノ、92)の製作 総指揮を務めた。